プチ隠居暮らし

定年を迎えての隠居暮らしのはずか週4日のお仕事

吉橋大師 結願

第十三番  三山 神宮寺
第七十四番
f:id:m4a4s4a4:20220215173350j:plain
f:id:m4a4s4a4:20220215173625j:plain


第十九番  田喜野井 正法寺
f:id:m4a4s4a4:20220215173204j:plain
f:id:m4a4s4a4:20220215173106j:plain
f:id:m4a4s4a4:20220215173242j:plain

第七十七番 今湊新田弁財天
f:id:m4a4s4a4:20220215174354j:plain
f:id:m4a4s4a4:20220215173702j:plain
f:id:m4a4s4a4:20220215173724j:plain
 御詠歌の額は昭和11年との記載がありまた、弁財天の由来では昭和15年に火災と消失とされているので大師堂が焼け残ったのか、その後移設されたのか不明です。
 そのそも神宮寺の薬師堂は現存しており移設する必要があるのであれば大荒院のものが移設されるのが妥当にも思われます。(そもそも大荒院って名前自体が?ですが、「新四國を歩く」の記載に従います)

第八十八番 大久保 薬師寺
f:id:m4a4s4a4:20220215175651j:plain
f:id:m4a4s4a4:20220215175720j:plain
f:id:m4a4s4a4:20220215180025j:plain
 なんと昭和17年の建立。
 順路手引図の薬師堂との関係が位置も含めて今一つ不詳。
 四国の結願寺大窪寺(本尊:薬師如来)を効かせて大久保 薬師堂が札所となり、それを継承する形で薬師寺が建立されたものとしておきます。




これにて結願しました。