プチ隠居暮らし

定年を迎えての隠居暮らしのはずか週4日のお仕事

結願のあとしまつ

吉橋大師の現時点の札所巡りは終了。

あとは大正15年の順路手引図からの編年という点では
・札所特定
第三十二番 大和田新田 大教院
 位置確認(順路図では成田街道南 現状は北)
第三十三番 船橋本宿 高本写し
 位置特定 現地踏査
 専蔵寺の位置確認(当時の札所として妥当か)
第三十七番 取扱確認
 御滝不動尊が第五十七番としたことで宙ぶらりんになった点を確認(御滝不動尊)
第六十番  谷津 大日堂 
 現地踏査(位置は平成期の地図で確認済)
第七十四番 三山 大荒院
 廃寺時期
第七十七番 三山新田 弁天社
 移設時期

・遍路コース推定
 当時の地図で遍路図の距離の妥当性からコースを推定

・札所の発番ルールの検討
 四国では順打ちができるようにされているのに吉橋大師では当初から恣意的に発番されているように見える。
 江戸時代の人としてはなんらかの見立てをして札所を決定していると思うのだけれどさて🤔

・「写し」の札所とは なぜ重複札所は発生するのか
 まぁ多くても良いけど、四国だと別格にしているところ。(四国別格二十霊場は1968年に制定されていたので、時期的には参考にはできないけれど)
 第六十六番 城橋 大師堂
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  サイクリングコースに面して設けることで関心を持つ人がいるかも→自分だけか😊
  まじめに言えば公道に開かれた札所は今ではここだけなので。これ開設時期がわからないけれど新川(印旛沼放水路)ができてからだよね。訊けばわかるかな?
  あるいは本来の金堀の浅間社がお詣りしにくくて、追加したのかも。最近お詣りされた方も浅間社がわからなくて城橋で良しとされていた方がいたのでこのあたりが実際かも。

 第三十三番 星影神社 元は船橋本宿の写しから移転
  船橋本宿は栄えていたのでアンテナショップ的に設けたのではあるまいか(妄想)
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 第六十七番 新木戸 八幡社
  だれるのでここいらで一つ欲しいと追加か🤔
 (ここがないと第十番から第四十七番は最長区間
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 第八十八番 尾崎 薬師堂
  一日で廻れるショートカット版があってここからぐるりで第一番に戻り満願としていたのでは?
  千葉寺十善講では一部をまわる春大師とかあるようなので。
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 第十六番  下町 白籏社
  第七十八番と第八十四番が近接しているのだけれどなぜ写したのか不明。
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 これ10年くらいしてから再訪したら札所かなり統合されているような気がする。