上野水香オンステージ@上野
久しぶりのボレロ。
日程の都合で仕事帰り。もう眠たくて。
特にドンキホーテでもう限界に。
クラシックバレエってテープだと発表会みたいで興ざめ。
ボレロは段々と自分が覚醒していく感じ。
素敵だった。確実に脳内物質でてるな。
群舞は今は全員上半身脱ぐのね。
亀塚古墳の横を抜けて
内裏塚古墳の前方部から上って
くびれ部
前方部へ抜けました。
大きさは体感できたけれど、展望がきかないなぁ。
他にもみたい古墳はあってけれど徒歩で2万歩でほぼ限界。
レンタサイクルとか使えるとありがたいのだけれど。
青堀駅へ移動。
駅前の「古墳の里ふれあい館」で内裏塚古墳群富津市文化財ハンドブックをもらう。これは有料でもおかしくない内容。
飯野陣屋、雑木が生い茂って土塁が分かりません。
三条塚古墳の堀を二の丸三の丸間の堀に流用。
この辺りが墳丘を削平した藩校の跡。
熊野神社の跡の飯野神社。
縄張図では微妙だった二の丸本丸間の土塁水堀は確認できてない。
ほぼ方形の道路に偲ぶばかり。
そんな中参道を大手まで新設している。
大手。きれいな二重の枡形のはずが後世の参道で見通せてしまう。
こちらも雑木が。
全面的には無理としても一部でもハンドブックに収められたような状態を維持することができたら往時のイメージが膨らむのだけれど。
縄張り図を背景にした御陣屋印。良いデザイン。
って、左上の方形は??(あわてて調べる)どうも方形墳の周濠みたい。陣屋に組み込まれていたのかは不詳だか、中下の牢屋の方は周濠を利用だから同様の施設があったものか。
あとは古墳群を見ながら駅に向かう。
青春18シリーズ 今度は佐貫城へ。
駅からハイキングに便乗。
以前は夏だったせいもあって藪こぎした印象しかなくリベンジ。
季節柄と雑木をかなり整理されていて歩きやすい。
空堀も左右で
未整備
整備でかなり印象が違う。
木段の下にのぞく石は往時の石段か気になりながら。
お約束の大手門石垣。
ただ今は町はずれにあり往時の姿がイメージしにくい。
こんな絵図もあるけれど流石に盛りすぎ。
その後城主の菩提寺(廃寺)にお詣り。ここから佐貫城は見えたのかしら?
佐貫駅に戻る。ハイキングの方は後半の海に向かう部分をズルして、この時点で(一万歩くらい)飯野陣屋に備える。ホームの待合室で少し無駄話。同じく18の乗り手とのこと。
明日までということで行ってみた。
考証癖があってね、野暮な話だけれど。
いきなり大川の下流に渓谷はない。あとは察しと思ったら江戸の町(浅草から江戸城まで)の遠景のCGが正確!五重塔から本丸には天守がない。元禄期はこれで正解。凄いと思ったら、赤穂城に天守が。これは駄目。後半の江戸城は復元二条城CG。 どうも遠景のCGは梅安か鬼平のシリアス系に用意したCGを使いまわしているのではあるまいか?
あとラグビーでスローフォワードが2回あったような。首でラグビーをやるのは確か筒井康隆の短編にあった。
東映時代劇お約束のイケメン剣士も登場。
さて次回は染五郎の鬼平ですな。(なんかねまだ幸四郎とは言えない)
なんとかお願いしたい。(何を?)
そうそう吉良が河内山に見えた。
久しぶりの(最後の?)青春18切符で石垣山城へ。
2008年以来の3回目。最初は中学生の頃。
早川駅から農道を登る。途中でバスとすれ違う。(バス?後で土日は小田原市内からバスが出ていることを知る)山城を攻めるのにバス利用はないでしょう。と怒りながらなんとか40分くらいで入口までたどりつく。城内を一時間くらい歩く。関東大震災で崩れたとされる石垣もなまじ積み直されていない分この石も500年以上も前からここにある。
となでなでする。
50年近くに初めて訪れた時は鬱蒼と茂る木々の中で遺構も良くわからなくて、ところが今はきちんと整備されている。
帰りは勿論バスで藤棚まで。小田原城を散策して帰る。
雁木を斜めにする必要ってあるの?
それでも周辺空き地から小田原市の本気を感じることができた。やはり整備計画のある城はいいな。小田原城はそれこそ10回くらい来ているけれど都度整備が進んでいている。
今も石をまとめたブロックが。
あたりから出土したのをまとめたものか🤔
登りで脚を使いすぎてそのまま帰宅。
この程度の登りでダメージがあると、鳥取城とか萩城詰めの丸とか登れるのかしら?
ちょつと代替手段のない山城を早めに廻った方が良くないかと思えた一日。
小田原市内で暮らして小田原城を散歩して、天気がいい日は石垣山城に登るという暮らしもいいな。
二城徒歩圏内という好物件。
いや今でも佐倉城、本佐倉城が自転車圏ではあるのだけれど、土塁だからなぁ。